これからの社会、過去にあったことや見た目で判断しずにどんな人でも心から理解することが大切だと思っています。
僕が思うこと
僕の思いを綴っていきます。
僕は共生社会をつくるためもっともっと個人の動きが必要だと感じています。
社会としての動きはあるけど、まだ自分には関係ないという無関心が多い。
体が不自由な兄弟がいるが、僕は家族のことを障がいがあると思っていない。だけど、小学校の時にはいろんなことを言われたし、まねされたりしてきた。たぶんそれは僕が感じてきた以上に、父や母、祖母などは感じてきたと思っているし、本人はもっと敏感に感じていたと思う。
あれから約15年、20年と経ち社会はだいぶ共生社会がすすんでいると感じますが、外面的なことで共生社会をつくっているように感じるときもある。変えるだけ、伝えるだけ。正しい知識があるとは思わないし、変わったようにみえて実際変わっていない。
例えば、何か障がいを持っている人を通常クラスに入れる時、他の保護者に対する意見や責任者が持っている意見。テレビなどで体が不自由な人を見たときに子供から発せられる言葉やその保護者の反応など。まだまだ本当の共生社会になるために解決しないといけないことが多い。スポーツ指導に携わって10年以上たちますが、そこでもまだまだ違和感があると感じている。
今のルールは健常者によって決められたルールが多い。新しくルールを作る必要がある。インクルーシブという言葉も最近増えてきているように。
そのために、まずは障がい者が気軽に集まれる場所を作りたいと思っている。
それは、何か自分の意見を伝える場所、聞く場所、心の整理が必要だと感じている。人の心のうちはわからないし、わからないものは知ることはできないし、それがつづけば全く知り合えない世界が続く。
2023年私は病気のため1ヵ月入院をした。一人でいることが多くそれだけでも何かを自分の感情に敏感になったり、誰かと話す伝えることだけでも少し心が楽になったと感じた。
一人で抱え込む気持ちもあれば、感情的になってしまうこともある。その時々によって感情はいろいろあると思う。無理やり、こちらから進めても難しい。本人の気持ちを最優先が大切。
僕が小学生で体験したこの気持ちはなぜか、ずっと消えないし、どんどん強くなってきた。
その小学生の時の思いが忘れられない、あのとき何もできなかった後悔からだと思う。強く生きてほしい。負けないで生きてほしい。みんなが正しい知識を持って生きてほしい。その時の僕は周りの人にやめてという勇気もなかったし、ただその場所に何も言わずに立っていることしかできなかった。
今思うと一番つらかったのは本人だとわかる。
経験をしたことをそこで終わらせずに次の世代にはよりいい形、ともに尊重し合える形に残したいというのが僕の役割だと思っている。
僕に子供ができて家族をもったことで、何気なく聞いたその言葉から正しい知識を持っていないと無意識に人を傷つけると感じた。
どうしたらいいのか?と思っているときに2023年3月末、中日新聞に掲載してあった活動を目にしてすぐ代表に連絡をとった。
活動の状況を聞いたり、活動を始めたきっかけや大変だったことなど。その場所でその場所にあった形で広がっていくといいねと話をしてくれました。とても勇気づけられて、すぐ行動した。
場所をつくる
支援をするされる関係ではなく、交流を深める場として【つながりの場】をつくること。
本人の思い、家族の思いを正しい形で広げたい。本人しかかわからない部分はある。
その思いを知って広げたい。その思いをみんなに知ってほしい。
その場にきて話す。一緒に音楽を聴く。遊ぶなど、なんでもいいと思う。
こころがつながる場をつくりたい。
僕がやっていること
今やっている取り組みとしてパラスポーツ指導員となり、障がい者スポーツの普及や、差別をなくすために更生団体へのマラソン・運動指導ボランティア活動、岐阜市の公民館を使用して障がい者の居場所づくりに取り組んでいます。
叶えたいこと
僕が叶えたいことは
- 障がい者と健常者の枠をなくす。
- 誰にとってもつながる・安心できる場所をつくる。
- どんな世代でも正しい知識を持ち、お互いを尊重し合えること。
もし共感していただける方がいたらご連絡ください。